瞑想について。自分を知るという行為は自分のためではないという本質

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こんにちは。岩堀(Kensu)です。

今回は「瞑想」について考えてみたいと思います。「瞑想とはどんなものか」「雑念を捨てるとは?」「煩悩って何?」「悟るってどういうこと?」について書いていきます。

そして、「瞑想するとどんなメリットがあるか」が気になるところだと思いますので、一緒に考えてみましょう。

ヨガや瞑想に対する期待

「ホットヨガ」のようなエクササイズが注目され、「マインドフルネス」というアメリカ式の瞑想法がブームにもなっています。

現在、「健康にいい」「ストレス解消になるエクササイズ」と言われているようなヨガが普及し流行っています。しかし、ヨガや瞑想という言葉を知っていても、実態については理解されていないのが現実だと思います。

瞑想は、

僕たちの生活を良い方向に導いてくれそうだ
潜在能力を高めてくれる可能性がありそうだ

という期待があるのです。

瞑想とはなにか

瞑想とは、なにかと一言で言えば、これです。

自分を知るという作業

「正しい」「間違い」というのは本来ありません。 何が正しいかという興味を持つこと自体が外側に対する興味です。

これは、瞑想の邪魔になります。

自分が見ている世界をどんどん切り分けて、より奥に入っていこうとしているときに、「これは正しいことだ」「これは間違っていることだ」などと考えたら、気持ちが外にあることになるのです。

認知科学者の苫米地英人さんは「悟り」についてこう言っています。

 この世には絶対はない」「この世は幻である」と理解できたら、それが「悟り」

頭で理解するだけであれば、悟りは子どもにも理解できます。ただし、「体感」は別です。

何が正しいかは誰にも分かりません。

縁起の思想を持ち、アプリオリ性を否定しているお釈迦さんもそういった考えです。

そこで、

何が正しいか分からないのに、外に出ていって人々を救いに行っていいのか

とう疑問が当然出てきます。

ただ、大衆のための大乗仏教の立場は、

とりあえず山を降りて、だいたい良さげなことをやろうよ

というものです。

隣の人をどうやって幸せにしようかなって考えた瞬間にそれは、「煩悩」になります。

基本的にヨーガは自分を見つめる作業のため、外に意識を向けると間違いになります。自分自身を見つめることが中心となるからです。

欲望まみれのヨガや瞑想

もともと「マインドフルネス」はアメリカのビジネスマン、ウォールストリートのビジネスマンたちの間で流行ったのが日本に来ています。

  • リラックスできる
  • ストレスがなくなる

といったことです。しかし、ウォールストリートのビジネスマンは永遠にリラックスはできません。ストレスが溜まることをやって飛びついたものがマインドフルネスなのです。

それは、 ヨーガの本質からも心と身体の本質からも大きく外れています

「瞑想やヨガのあとにはエゴや自己高揚感が増大する」という研究結果があります。つまり、西洋式のヨガや瞑想のあとには「自分はすごい、何をしてもいいんだ」みたいな感覚になるのは事実です。

日本で流行っているヨガや瞑想は、ダイエットや健康、生産性向上だったりが目的になります。これは、自分の利益のためで、そのような目的でヨーガをやれば、ますますエゴイスティックになるのは明らかです。

なんのためにストレスが抑えられるかは、自分のエゴを肯定するためです。そこに「ニーズ」があるということです。ニーズがあるので、流行ります。

  • ストレス無しで金儲けがしたい
  • ストレスによって下がってしまった生産性を上げたい

という ニーズがあるので、マインドフルネスは大きな商売になっているのです。

しかし、それは煩悩を増大させることに貢献するだけです。ストレスは本質的にはいつまでもおさまることがありません。「金儲けしたい煩悩」「生産性を上げたい煩悩」。つまり、エゴの肯定だからです。

ハタ・ヨーガの本質

健康法としても効果的だと知られるハタ・ヨーガですが、ハタ・ヨーガは解脱のためにあります。ダイエットや健康のためにあるのではなく、長時間の瞑想ができる身体をつくるためにあるのです。

健康体操やダイエット法だって思っているようですが、違います。 ヨーガは人間の可能性の全てを開くカギかもしれないのです。本来、ヨーガを習うときには、ヨーガの体系の概念、バラモン教の歴史から知らないといけません。そうしないと勘違いが必ず起きます。

ヨーガを正しくやろうと思えば、サンスクリット語やヨーガ経典を踏まえる必要があるのです。

瞑想の行き着くところは、解脱であったり、マハー・サマディという自分のコントロール能力で自然死を迎えることであったりします。

このブログでも、「心と身体は同じもの」ということを言っていますが、その極意は、 本当であれば、心臓の鼓動をコントロールできるレベルに達して初めて会得できるのです。

 

しかし多くの人は、心は心。身体は身体だと思っています。そのため、ハタ・ヨーガはダイエットに効く、健康にいいということになってしまうのです。

そして、それが分からないで教えている人がいま凄く多いと本物のヨーギーの成瀬雅春さんは指摘しています。

ヨーガの本質がわからない人が教えていると教え方も微妙にズレる

「悟り=答え」という思考停止

僕は、瞑想はどうせやるなやちゃんとしたやり方でやるべきだと思います。

瞑想しているというのは、自分の状態をアクセスしたいところもコントロールしている。すべてをコントロールしているということです。

瞑想するとボーッとなって気持ちがいいだけっていうのが伝えられていますが、これは、瞑想とは言いません。 瞑想は、全部認識できて冷静にクリアな状態になることです。

つまり、「俯瞰する」ということです。

その俯瞰は自分が座って瞑想している姿を違うところから見ることによって自分自身を冷静に見据えることができる。その俯瞰が自分の上からだけでなく、もっと外に広がってもいいのです。

多くの言う人の悟りは、心の平安のことを言っていますが、それは幻想であって、仮に悟ったとしてもその先にまだ人生があります。

不安や迷いをなくそうとするのは、不安や迷うのが嫌だということです。それは不安や迷いを見るのを放棄しているということになります。 悟りの本質はそれとは次元が違い、明晰に宇宙が見えてくるというものです。

まとめ:大乗の立場から

僕は大乗思想なので、世界を救いたいという大きな煩悩は肯定的です。ただし、世界を救いたいというのも煩悩だということを分かってないといけません。 煩悩だと分かった上で人を救うということです。

「本当の瞑想を理解している人が増えたほうがいい」という考えで、この記事を書きました。僕たちに瞑想が必要だということではありません。すでに僕たちは日々、瞑想をしているのです。

地球をいいところにしましょう。

    

 

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