グリムの定理の圧倒的なインパクト~不完全性を証明する力~

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こんにちは。岩堀(Kensu)です。

現代を生きる僕たちは、コンピュータが実用的なものであることは疑いもない事実でしょう。現代社会を維持するためにはコンピュータがなくては成り立ちません。

さて、すべての科学全般のパラダイム(ベース)となっている認知科学は、ファンクショナリズム(Functionalism,機能主義,函数主義)を信じる学問です。「人間はコンピュータ」という考えです。

  • どんなコンピュータもすべての真理を導けないというゲーデルの不完全性定理
  • それを人間であるゲーデルが発見したという理性の超

ファンクショナリズムの函数は、記述することが可能かどうか否かも含めて課題はありますが、この記事では、「不完全性定理」が僕たちに与えているインパクトを見ていきましょう。

グリムの定理とは?グリムの定理までの道のり

グリムの定理とは、一言で言えば「神は存在し得ない」という主張です。まずは、どういった経緯でこの定理が導かれたのか見ていきましょう。

「数学は完全な学問」を証明しようとしたヒルベルトプログラム

ダフィット・ヒルベルトというドイツの数学者は、20世紀初めにすべての数学的推論を完全に定式化することを提案しました。ヒルベルトのアイデアは、完全な人工言語を作り、推論と数学と演繹を行うことです。

「数学とは完全な学問である。その他の学問とは違う」

理論の一番のコアは神学と同じで「数学は完全な世界である」という発想になります。

そのため、公理的手法の重要性を強調しましたが、その手法は一連の基本的仮定(公理)と、きちんと定義された演繹規則から出発して正しい定理を導くものでした。

このような数学的手法は、ユークリッド幾何学までさかのぼります。ヒルベルトの意図は、ゲームの規則、定義、基本概念、文法、言語に対して完全であること、それによって数学をどのように行うかを誰もが合意できるようにすることです。

これは、ライプニッツやフレーゲといった人による長い歴史の研究成果から導かれた、数学の形式的伝統に従っています。それをとことん突き進め、すべての数学を定式化しようとしたのです。

その当時一番賢い人たちをプリンストン大学に集めて、 「数学とは完全な学問である」ことを証明しようとしたのです。
(関係ありませんが、アインシュタインも当時プリンストン大学にいました)

ゲーデルの不完全性定理

数学とは完全なものだと証明しようとしたヒルベルトプロジェクト。

しかし、それができないことが判明しました。1931年、当時25歳だったウィーン大学の天才数学者がヒルベルトのビジョンを吹き飛ばしました。

ゲーデルは、数学は完全な学問であると証明するプロジェクトにいながら、数学とは不完全であることを証明してしまったのです。

「数学は自己の無矛盾性を証明できない」

これがゲーデルの不完全性定理です。

このゲーデルの不完全性定理により、 巨大なヒルベルトプロジェクトを一撃で崩してしまったのです。ゲーデルは自然数論という限られた系の中でしか不完全性を証明をしていませんが、系が拡大していけば、その拡大した系に矛盾が入り込んでいくと予測しています。

チャイティンの不完全性定理

ゲーデルの不完全性定理は、その後もチューリング、チャーチといった数学者や論理学者たちが拡張していきます。
そして1987年、IBMワトソン研究所のグレゴリー・チャイティンという数学者は、この定理を、数学全般にまで拡張して証明しました。

「任意の系において、ランダム性が系に内包される」という定理です。

チャイティンは、ゲーデルの不完全性定理を自然数論という限定された公理系で示したことを、数学のメタ記述言語であるLISPというプログラミング言語を使い、数学全般で示したものです。

チャイティンの研究分野は、ゲーデル、チューリングといった数学者がつくりあげた、「メタ数学」と呼ばれる分野です。メタ数学とは、数学とは何ができて何ができないかを研究する数学の内省的な一分野で「計算可能性」「複雑性」「ランダム性」といった概念を生み出してきた分野でもあります。

グリムの定理とその後

チャイティンと同じ頃、同様な主張を論理学で展開した哲学者パトリック・グリム。グリムは「神とは完全なものである」と定義することで「神は存在しない」と主張しました。

「神は完全である」と定義した瞬間に
「必ず完全なものは存在し得ない」という証明によって
「神はいないことになってしまう」

これがグリムの定理です。(ゲーデルの不完全性定理そのものです)

その後、いろいろな主張をする人が現れます。数学の読めない人はこう言います。

「グリムはそう言うけど、私は神はいると思います!」
「記述できないかもしれないけど神はいます!」

数学者や哲学者が綿密に定義して1つの主張をしたときに理解ができないことをいいことに
たった一言、「間違っていると思います」です。
これは現代社会においても、SNSなどでよく見かける光景です。

系の外側に神がいると主張するのは自由ですが、「完全なものではない」ということを主張しているに過ぎません。
西洋の神は「ビッグバンの前にも存在し、宇宙が消滅しても存在し続け、1つも矛盾がない」完全なのです。

数学が理解できる人にとって、 グリムの定理は巨大なインパクトなのです。 少なくとも、神は完全であるというグリムの最初の定義上は神は存在しえないのです。

僕たちにどういうインパクトがあるか

ヒルベルトが世界の賢い人たちをプリンストンに集めて数学が完全であることを証明しようとしてできませんでした。数学という系全般で不完全性を証明したということがどういうことでしょう。

哲学の論理は数学で記述します。
宗教の論理も数学で記述できます。

僕たちは、科学を数学という道具を使って記述するのです。その道具の記述そのもののの不完全性は、世界が記述されている空間そのものに不完全性が入り込んでしまうということです。

ゲーデルの不完全性定理が1931年。さらに50年以上経ってチャイティンが数学全般で不完全性定理を証明しました。

これは、 知識の限界そのものを定義しているのです。

僕たちに与えてくれること

ゲーデルとチャイティンの証明が明らかにしたのは、あらゆる時間、あらゆる空間で「不完全性定理」が成り立つということです

  • 生命システム
  • 政治システム(民主主義)
  • 宗教システム
  • 物理システム
  • 経済システム(資本主義)

すべて1つの系です。完全な系はどこにもないということは、どのシステムにも当てはまります。

「完全」とはその系に正しくない命題が存在しない、さらにその系に証明不可能な命題が存在しないということです。
どのシステムも矛盾が内包され、そこにあるすべての正しい命題を導くことができません。
宇宙は始まった時も現在も、つねに不完全だということです。

宗教対立について

グリムの定理により、宗教がなくなるわけではありません(実際になくなってはいません)。それは、どんな宗教であって矛盾する教義を持っているからです。

ユニバーサル(普遍的)な宗教は成功したことがなく、 すべての宗教はローカルな宗教であり、ローカルな神なのです。
だから宗教間の対立があるのですが、宗教そのものが不完全な系だからです。

巨大な「神学」という体系の中では神は完全であると主張してきた人たちがいるのは間違いありません。
そして、神の完全性を前提としないと宗教戦争が成り立たないのです。

いまだに「うちの神は完全である」と主張しあっているのが宗教戦争です。
これが、「なくなる」ということが巨大なインパクトなのです。

知の限界の外側があるのか

「知の限界の外側はあるか」

これは論理的な言い方として主張するのは自由です。
しかし、「外側」もその限界があればその一つ限界の外側に広がってしまいます。外側を定義した瞬間に大きく系が広がっていくのです。

「知の限界の外側」は外側を定義した瞬間に矛盾が入り込む。これは無限後退してしまいます。永遠に完全性は成り立たないのです。

では、ゲーデル自身は不完全性定理の働く系の内側にいるにもかかわらず、不完全性定理に気づき、証明することができたのでしょう。

ゲーデルが系の内側にいながら不完全性定理を発見できたのは、おそらく、その外側の神から情報をもらったからではないでしょう。
メタ(高次元)に思考できたからです。

不完全性定理で分かったことは、僕たちはもともと自由であるということです。
しかし、その自由はランダム性としての自由なので、僕たちが自ら選択した自由であるためには、メタに思考する必要があります。これが「自由意思」です。

人間の認知が記述可能であるというファンクショナリズム。不完全性定理は、現在の認知科学の基本的なパラダイムにも大きなチャレンジであることは間違いないでしょう。

  

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